5000年の車輪の歴史に
新たな時代を書き加えた
BBS 50年の軌跡

プロローグ・・・「車輪の歴史 ホイールの課題は5000年前から変わらない」

紀元前3000年頃、車輪はメソポタミア文明期に発明されたといわれている。
チグリス・ユーフラテス河の恵みで肥沃な土壌を持ち、早くから農業が発展したこの地域では、金属・木材・石材などの資源が不足していた。これらの交易で商業が発展していったが、その経済発展を支えたのが、大量の荷物を楽に速く運ぶことのできる車輪の発明だった。紀元前2000年頃、軽量化と強度向上のためにスポーク構造が発明される。車両は荷車だけでなく、戦車などにも活用され、特に戦車では、戦闘時における高い機動性を確保するため、従来を上回る耐荷重能力、横方向荷重、耐久性、軽量性、靭性などの性能が求められ、木製ながら力学的合理性を持つスポーク構造へと進化していった。
そして、紀元前700~500年頃。欧州に鉄器をもたらしたハシュタット文化により、鉄を巻いた車輪が発明された。斧や鉄剣、鉄製農具に加え、馬と戦車を用いて400年に渡り欧州を支配したハシュタット文化において、鉄を巻いた車輪の強度・耐久性向上は極めて大きな影響を残した。スポークの発明により構造の改革が起こった後に、素材改革によって車輪はさらに発展していった。

時は過ぎ、1867年。ソリッドゴム製タイヤが発明される。
2000年以上も大きな進化がなかった車輪に初めてゴムが使われる様になった。空気が入らないソリッドゴムであり、後の空気入りタイヤの様な衝撃吸収能力がなかったため、低速車両に主に用いられた。世界初の自動車と言われるベンツ・パテント・モトールヴァーゲンにもソリッドゴムタイヤが採用されている。
1888年、英国の獣医師、ジョン・ボイド・ダンロップによって、自転車用空気入りタイヤが発明された。従来の鉄輪や木製、ソリッドゴムなどの衝撃吸収力の乏しいタイヤに対し、乗り心地を大きく改善し、高速走行を可能にした空気入りゴムタイヤは、後の自動車の発展に大きく貢献し、ダンロップは2005年に自動車殿堂入りを果たした。
1924年、エットーレ・ブガッティが自動車用として世界初のアルミホイールを発明した。1926年のグランプリ・チャンピオンを含む1000勝以上を挙げた傑作レーシングカー、ブガッティ・タイプ35には高剛性、軽量、高放熱性を備えるアルミホイールが与えられた。ブレーキドラムをホイールに鋳込むなどの革新的な手法が用いられている・・・。

1960年
BBSの創業者のひとりハインリッヒ・バウムガルトナーが、ドイツのシルタッハに自動車整備・修理工場を開業した。バウムガルトナーは翌年からハンス・グラース社の1600GTでレース活動を始める。以後研究を重ねてレースチューニングのノウハウを磨いて行き、輝かしい戦績をあげることになる。
1966年
経営不振のグラースがBMWの傘下に入り、以後バウムガルトナーも車両をBMWにスイッチ。彼の成績を目にした多くのアマチュアレーサーからチューニングの依頼を受けつつ、BMWのレーシング・コンストラクターとしての役割も担っていった。こうして数々のレースユーザーのニーズを聞きながらさらなる開発を続けていった。
1970年
バウムガルトナーは同郷の友人クラウス・ブラントと、自動車部品の製造を行う会社を立ち上げた。ふたりの頭文字と創業の地シルタッハの頭文字をとって社名はBBSと名付けられた。当初の製品は主にBMWとフォード用のFRPエアロ パーツであった。これらの製品は当時盛んであったヨーロッパ・ツーリング選手権 (ETC)の車両に採用された。
1971年
同じ頃、後にBBSの発展に大きな影響を与えることになる、日本のワシマイヤー株式会社がアルミ製糸巻きビームの製造販売会社として富山県高岡市に設立された。大量の糸を巻き取り、大きな耐荷重を求められるボビンの強度を満たすための技術開発が後に鍛造アルミホイールの技術として生かされることになる。
1973年
自らのレース経験と多くのサポート業務で車両軽量化の重要性を熟知していたバウムガルトナーは、トップカテゴリーのレースでもホイールの軽量化が不十分なことに着目。ワイヤー・クロススポークの力学的合理性を活かした独自のメッシュデザインにより、軽量・高剛性なレース用鋳造3ピースアルミホイールを完成させた。
1974年
ワシマイヤー社は、比較的小型のプレス機を用いながら、素材を回転させながら連続して分割鍛造する技術を開発し、直径40インチ(約1m)ものアルミ鍛造ビームフランジを製造することに成功。熱管理などを含む技術的に極めて難しい諸問題をクリアし、比較的安価な設備で、世界トップレベルの高品質鍛造アルミ製品を製造する技術を確立した。
1978年
ダイムラーのチーフエンジニアから、ヘッドハントされてフォードモータースポーツ、BMW Mと渡り歩いたマルチン・ブラウンガルトを迎え入れ、多くのレースコンストラクターとの結びつきを強めたBBSは、世界各地のメジャーカテゴリーで他のホイールメーカーの追随を許さない圧倒的な戦績を残し、世界的ブランドへと躍進する。
写真中央:ハインリッヒ・バウムガルトナー/左:クラウス・ブラント/右:マルチン・ブラウンガルト
1981年~82年
独BBS社は、鍛造アルミホイール生産に大きな可能性を予見していたが、超高額になる設備投資の目処が立たず、技術提携を模索しはじめていた。世界中の 多くの企業からのラブコールを受けたが、ブランド名のみを利用した安価な製品販売を強く危惧し、技術に裏打ちされた本物を志向する企業哲学に共感できる企業と出会えずにいた。
そんな時、ワシマイヤー社からの提携申し入れを受けて、視察のため訪日したバウムガルトナーは、日本の複数社の視察の後、最後に訪れたワシマイヤー社の分割鍛造技術を見て衝撃を受ける。 繊維産業の先行きを見て、多角化を狙うワシマイヤー社と、外部から鍛造技術を導入したい意向が一致し、提携は一気にまとまった。
1983年
独BBS社とワシマイヤー社が技術提携し日本BBS誕生。新たに5,000トン鍛造プレス機を設置し、アルミ鍛造3ピースホイールの開発を開始。複雑なメッシュデザインのディスク面を鍛造で仕上げるためのトライ&エラーが始まる。高強度と軽量を担保する鍛流線をきれいに維持しつつ、力学的かつ美しいディッシュ面を再現する技術開発が行われた。
1984年
2月、日本BBS社の第1号製品である3ピース鍛造アルミホイール「RS」完成。国内基準はもとより、より厳しいドイツ系OEM基準のテストにも合格し、さらに確認のためサンプルを送ったドイツBBSの評価は、称賛と言えるものだった。そして4月、待望の新製品「RS」は200本が予定通り出荷され、アフターマーケットで販売開始となった。
1985年
複雑なメッシュデザインのアルミニウム鍛造1ピースホイールを世界で初めて実現。3ピースより強度にも軽量性にも優れ、原理的にエア漏れもない究極のホイールだが、技術的難易度の高さゆえ、世界のトップメーカーが開発に苦労してきた。完成したワンピースホイール「RG」は米国 SEMA SHOW(自動車用輸入部品展示会)において技術革新大賞を受賞。
販売面では、従来の日本国内アフターマーケットでの販売に加え、前年から始まった3ピースのRSの輸出に、1ピースのRGが加わる。さらに日産スカイラインへのオプション設定を皮切りに、自動車メーカーへの OEM納入がはじまった。 以後、メーカー各社に、徐々にOEM供給は広がりをみせていくことになる。
1986年
前年のSEMA SHOWでの技術大賞受賞の効果によって、鍛造製品ゆえの、従 来の常識を超えた高価格をマーケットが納得する形で販売が爆発的に増加。
対前年比でRSが約2倍、RGに至っては約3倍に躍進。販売現場が混乱するほ ど受給が逼迫する。
1987年
11月29日、富士スピードウェイで開催された世界耐久選手権(WEC)において、1位から7位までをBBSホイール装着車が独占。ジャガー、ポルシェ、 トヨタ、日産、マツダ各社が1000キロの長丁場を競い合ったが、優勝はヤン・ ラマース/ジョン・ワトソンのジャガーXJR-8。BBSホイールの高性能と信頼性が証明されることとなった。
1989年
R31スカイラインで日産からの信頼を勝ち取った日本BBS社は、日産とR32GT-Rのホイール開発に共に取り組んだ。ドイツ ニュルブルクリンクでの厳しい走行試験を乗り越えて発売されたスカイラインGT-Rには、R32、R33、R34と第2世代GT-Rの3車に連続してBBS鍛造ホイールが採用された。
1991年
鍛造アルミホイール累計100万本出荷を達成。高級・高機能なハイエンド製品としての地位を築き、自動車用ホイールの新たな市場を切り拓いた。そのような中、RGタイプデザインでマグネシウム製1ピースホイールを開発し、技術部門のトップが自らサンプルを持参しフェラーリを訪問。帰国後にテスタロッサ用16インチホイールの依頼を受けるが、コスト面の折り合いがつかず採用には至らなかった。
しかしBBSの技術力を知ったフェラーリは、BBSへF1ホイールの開発を打診した。
1992年
F1用マグネシウム鍛造ホイールを開発(世界初)。フェラーリF1チームから「マグネシウム“鋳造”ホイール比で10%の軽量化」を条件に依頼を受け、結果20%の軽量化に成功。
異例の3年契約の申入れを受け契約締結。以後フェラーリは10年間にコンストラクターズタイトル8回、ドライバーズタイトル6回を獲得。F1ホイールでの成功のおかげで、トヨタ、日産、マツダなどの国内自動車メーカーへのOEM供給の拡大。イギリスなどの海外自動車メーカーへのOEM供給も始まり、今日の発展の基礎を作った。
1993年
DTMやINDY500などの各チームに、アルミよりさらに軽量・高剛性を可能にしたマグネシウム“鍛造”レーシングホイールの供給を始めたBBSは、これによってレース車両の戦闘力を大きく引き上げることに成功。世界中のより幅広いレースフィールドで、最高性能のレーシングホイールへのニーズに対応できる体制を築いた。
1994年
鍛造金型を加工する設備を導入し、金型内製化に着手。従来外部に依存していた鍛造型を社内で設計作製できる様になったことで、開発から生産までの工程をより理想的にコントロール可能になった。
「ル・マン24時間耐久レース」用をベースとするアルミ鍛造2ピースホイール「LM」とRSのデザインをそのままに、リムを2ピース化し強度を高めた「SUPER-RS」を発売。
1996年
ポルシェが993型ポルシェ911をベースに911GT1を開発。BBSホイールを装着したGT1は同年のル・マン24時間レースで総合2位、3位を獲得。1998年にはトヨタを破りワン・ツーフィニッシュを飾った。
2000年
この頃、BBS製マグネシウムホイールは、F1各チームから高い評価を受けており、約半数のチームに供給していた。中でも、BBSホイールを履いたフェラーリのミハエル・シューマッハは、2004年まで5年連続でチャンピオンに輝き、圧倒的な強さを発揮した。
2002年
F1のために生まれたマグネシウム鍛造ホイール技術を投入した1ピースホイール「RE-Mg」の発売を開始。マグネシウムは腐食しやすく、市販化は難しいとされていたが、特殊被膜の開発により、これを克服した。しかし、皮膜の損傷に留意する必要があるため、取扱店を限定して販売した。
2003年
1998年にル・マン24時間レースのワークス活動を撤退したポルシェが、プライベーターのサポートのために開発した911GT3R(996)は、BBSホイールを標準装着し世界中のチームに販売。デビューの2000年にチームタイサンがル・マン24時間レース LM-GTクラス優勝したことを皮切りに、途中911GT3RSRへと進化しながら、2003年のデイトナ24時間優勝など、参戦した全ての競技でクラス優勝を果たし、速さと耐久性を支えるBBSホイールの性能を証明した。
2005年
市場での大径ホイールの需要の高まりを受け、22インチのホイールを量産するため、当時最大級の9,000トン鍛造プレス機増設。
2010年
マグネシウム鍛造製F1用レーシングホイールの供給は続き、数多くのコンストラクターに供給。
2011年
超超ジュラルミン鍛造ホイールを開発。厳密な熱管理と素材の均一化という厳しい課題をクリアし、世界初の超超ジュラルミンホイール「RI-D」の販売を開始。鍛造アルミニウム、鍛造マグネシウムと、ステップを追って進めてきた素材改革は新たなステージへ進んだ。
2014年
ポルシェがWEC新レギュレーションに準拠する「919 ハイブリッド」、そして「911 RSR」を開発しル・マン24時間レースにワークス体制で復帰。その後のポルシェのモータースポーツ活動を牽引する新たなシンボルの2台には同じデザインのBBS製ホイールが装着され、このモータースポーツで培った技術とBBS鍛造ホイールは、現在最速であるGT2RSのヴァイザッハパッケージなどにも採用された。
2015年
マグネシウムホイール「RE-Mg」の発売から13年、耐食性皮膜に改良を重ねた「FZ-MG」を発売。マグネシウム鍛造の1ピースでありながら、店舗を限定することなく販売できる製品とした。
2016年
5月28日。ドイツで行わた第44回ニュルブルクリンク24時間耐久レースにおいて、BBS鍛造レーシングホイール装着車のMercedes-AMG GT3(SP9クラス)が総合優勝。1位から6位まですべてBBS鍛造レーシングホイール装着車という結果を残した。
2019年
富山県高岡市四日市にさらなる品質向上を求め、16,500㎡に及ぶ塗装工場完成。また、本社工場には12,000トン鍛造プレス機を導入。これにより24インチクラスのホイールの量産が可能となり、新たなる挑戦に向けて環境を整えた。
2020年
BBSブランド50周年。
Action for the Future
挑戦は続く。